
こんにちは、ミサゴパパです。
最近読んだ小説の中で、じんわりと心に残り続けている作品があります。
それが、第174回直木賞受賞作である、嶋津輝さんの「カフェーの帰り道」。
最初は「大正〜昭和初期の女給さんたちの話かぁ」と、どこかレトロな雰囲気を楽しむつもりで読み始めました。
ところが、ページをめくるうちに驚かされました。
出てくる女性たちの悩みも、焦りも、見栄も、夢も、人間関係の面倒くささも――驚くほど“今の私たち”だったのです。
舞台は東京・上野の片隅。
あまり流行っていない「カフェー西行」という店で働く女給たちの物語。
けれど、この小説は単なる「昔の風俗を描いた懐古小説」ではありません。
むしろ、百年前を舞台にしながら、「働くとは何か」「自分らしく生きるとは何か」を静かに問いかけてくる作品でした。
「カフェー」という場所の面白さ
今でいう“カフェ”とは少し違い、当時の「カフェー」は、食堂や喫茶店の顔を持ちながら、女性たちが接客をする社交場でもありました。
時代背景を考えると、女性が自由に働き、稼ぎ、自分の人生を選ぶこと自体がまだ簡単ではない時代です。
そんな中で、「西行」で働く女たちは、笑ったり、怒ったり、見栄を張ったりしながら、自分の居場所を探している。
読んでいて感じたのは、彼女たちが決して“可哀想な存在”として描かれていないことでした。
苦労はある。
世間の目も厳しい。
でも、彼女たちはちゃんと人生を楽しもうとしている。
この距離感が、とても良かった。
タイ子の“見せ方”は、現代のSNSにも通じる
特に印象的だったのが、竹久夢二風の化粧で客の視線を集めるタイ子です。
彼女は、自分をどう見せれば人の印象に残るかを知っている。
これって、現代で言えばSNSのプロフィール作りや、インスタの世界観づくりにも似ていますよね。
「自分を演出する」という行為は、令和の若者特有のものではなく、百年前から存在していたのだなぁと妙に感心してしまいました。
人は昔から、
「誰かに見てほしい」
「認められたい」
「忘れられたくない」
そんな気持ちを抱えて生きてきたのでしょう。
時代が変わっても、人間の本質はあまり変わらないのかもしれません。
小説家志望のセイに共感してしまう
個人的には、セイという女性がとても気になりました。
小説家を目指しながら、なかなか上手くいかない。
夢を追っているのに、自分だけ取り残されていくような焦りを抱えている。
これ、創作をしたことがある人なら痛いほど分かる感情ではないでしょうか。
ブログでも、小説でも、絵でも、動画でもそうですが、“何者かになりたい”と思って始めたのに、思うような結果が出ない時期ってあります。
周囲は前に進んで見える。
自分だけ足踏みしている気がする。
そんな苦しさが、セイから滲み出ていて、読んでいて胸がチクッとしました。
嘘つきたちが、なぜか愛おしい
この作品には“嘘”がたくさん出てきます。
見栄のための嘘。
自分を守るための嘘。
誰かを元気づけるための嘘。
特に園子の大胆な嘘には驚かされますが、不思議と嫌な気持ちにならない。
むしろ、人間って少しくらい嘘をつきながら生きているよなぁ……と思わされるのです。
SNSの時代になってから、私たちは「本当の自分」を求めすぎている気もします。
でも実際には、誰だって多少は背伸びをするし、格好をつけるし、時には虚勢を張る。
この小説は、そんな“不完全な人間”を優しく受け入れてくれる空気がありました。
上野という街の匂い
そして、この作品を語る上で外せないのが“上野”です。
私は東京の下町っぽい空気が好きなのですが、この小説には独特の上野の湿度があります。
華やかさと、少しの胡散臭さ。
文化の香りと、生活の泥臭さ。
夢を追う人と、流れ着いた人。
上野という街には、昔からそういう“境界線の曖昧さ”がある気がします。
「西行」に集まる人々もまた、どこか定住者というより、“人生の途中にいる人たち”なのです。
だからこそ、この作品には常に「別れ」の匂いが漂っています。
人は店を去る。
街を去る。
青春を去る。
でも、その短い時間の交差が、人生を少しだけ変えていく。
読み終えたあと、まるで夕暮れの上野を一人で歩いた後のような、静かな余韻が残りました。
まとめ|百年前の物語なのに、“今”を読んでいる気がした
『カフェーの帰り道』は、時代小説のようでいて、とても現代的な作品でした。
働くこと。
夢を見ること。
誰かに認められたいと思うこと。
居場所を探すこと。
それらは百年前も、今も、きっと変わらない。
派手な事件が起きる小説ではありません。
けれど、人の感情の機微をじっくり味わえる、実に豊かな作品でした。
もし最近、少し疲れていたり、人生のペースに迷っていたりする人がいたら、静かな夜にぜひ読んでみてほしい一冊です。
読み終えたあと、きっとあなたも「カフェー西行」の帰り道を、少しだけ一緒に歩いた気持ちになると思います。






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