
こんにちは、ミサゴパパです。
今回は、谷川嘉浩さんの著書、『スマホ時代の哲学 「常時接続の世界」で失われた孤独をめぐる冒険』を読んだ感想を書いてみたいと思います。
正直に言うと、読み始める前は「スマホ依存についてのありがちな話かな?」と思っていました。
「スマホの見過ぎはよくない」
「デジタルデトックスしましょう」
「SNS疲れに注意」
そんな話なら、もう耳にタコができるほど聞いています。
でも、この本は少し違いました。
単なる“スマホ批判”ではなく、もっと根本的な問い――
『人は孤独である時間を失ったとき、どう変わるのか?』
というテーマに向き合っている本だったんです。
「暇」が消えた時代に生きている
本を読んでいて、妙に刺さったのがこの感覚でした。
昔って、意外と「何もしない時間」があったんですよね。
電車に乗れば窓を見る。
待ち時間はぼーっとする。
テレビCMの時間に考え事をする。
でも今は違います。
少しでも空白ができればスマホを開く。
通知を見る。
ニュースを見る。
SNSを見る。
YouTubeを見る。
気づけば、頭の中がずっと何かで埋め尽くされている。
ミサゴパパ自身、「ちょっと暇だからスマホを見る」が完全に習慣化しているなと反省しました。
そして怖いのは、それを“普通”だと思っていたことです。
孤独は「悪いもの」ではないのかもしれない
この本を読んで一番考えさせられたのは、タイトルにもある「孤独」という言葉でした。
孤独というと、なんとなくネガティブな響きがあります。
寂しい。
誰にも相手にされない。
社会から切り離される。
でも本書で扱われる孤独は少し意味が違う。
誰ともつながっていない時間。
他人の評価から離れて、自分の頭で考える時間。
つまり、自分自身と向き合う時間としての孤独です。
これ、年齢を重ねるほど大事なんじゃないかと思いました。
仕事、家族、世間体、人間関係。
毎日いろんな情報や役割に追われていると、「自分は本当はどう思っているのか」が分からなくなることがあります。
そんな時に必要なのが、“孤独”なのかもしれません。
常時接続の安心感と息苦しさ
現代って、便利になりました。
連絡はすぐつく。
調べ物も一瞬。
暇つぶしにも困らない。
でも同時に、ずっと誰かとつながっている感覚があります。
返信を気にする。
既読を気にする。
SNSで人の生活を見る。
安心感もあるけれど、どこか疲れる。
ミサゴパパは「スマホが悪い」とは思いません。
便利ですし、実際かなり助けられています。
ただ、問題は“自分で距離を選べなくなること”なのかなと感じました。
気づけば使っている。
気づけば時間が消えている。
そして静かな時間がなくなっている。
これ、ちょっと怖いですよね。
ミサゴパパ、あえてスマホを置いてみた
この本を読んだ後、少し実験してみました。
近所を散歩するとき、あえてスマホを見ない。
最初は落ち着きません(笑)
「あれ?ニュース見ようかな」
「通知きてないかな」
妙に手がソワソワする。
でも10分、15分と歩いているうちに、不思議と頭の中が整理されてくる感覚がありました。
空を見たり、季節の匂いを感じたり、ぼんやり考え事をしたり。
「あ、こういう時間、久しぶりだな」と。
もしかすると、現代人に足りないのは“情報”ではなく、情報のない時間なのかもしれません。
この本はこんな人におすすめ
『スマホ時代の哲学 「常時接続の世界」で失われた孤独をめぐる冒険』は、
- 気づけばスマホを触っている人
- SNSに少し疲れている人
- 最近ぼんやり考える時間が減った人
- 「便利なのに疲れる」と感じている人
にはかなり刺さる一冊だと思います。
難解な哲学書というより、現代を生きる私たちの日常に引き寄せて考えられる内容なので、読書が苦手な人でも比較的入りやすい印象でした。
まとめ|「孤独」を取り戻す小さな冒険
読み終わって思ったのは、
“孤独を避け続けることが、逆に自分を見失わせる”
ということ。
スマホを手放す必要はない。
SNSをやめる必要もない。
ただ、たまには通知のない時間をつくる。
誰ともつながらない時間を持つ。
そんな小さな“孤独の冒険”が、実は心を整える時間になるのかもしれません。
スマホを閉じたあと、少し静かな時間を持ちたくなる。
そんな読後感のある一冊でした。






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