
こんにちは。ミサゴパパです。
先日、家族そろって梅散策に出かけてきました。行き先は、学問の神様として知られる湯島天満宮。ちょうど「湯島天神梅まつり」が開催されているということで、これは行かねばと、妻と子どもたちを誘って足を運びました。
今年2026年の梅まつりは、2月8日から3月8日までの開催。私たちが訪れた日は天候にも恵まれ、雲ひとつない青空。まだ肌寒さは残るものの、日差しはどこか柔らかく、確実に春が近づいていることを感じさせてくれました。
境内に一歩足を踏み入れると、ふわりと漂う梅の香り。これがまた何とも上品で、心をすっと落ち着かせてくれるのです。梅の開花状況は六〜七分咲きといったところでしょうか。満開まではあと少し。でも、その「もう少し」がいい。蕾と花が入り混じる景色には、満開とはまた違う、これからの季節への期待感があります。
白梅の凛とした美しさ、紅梅のあたたかみのある色合い。青空を背景にしたそのコントラストは見事で、思わず何枚も写真を撮ってしまいました。妻も「やっぱり梅はいいわね」と微笑み、子どもたちも屋台の甘酒や焼きそばに目を輝かせながらも、ちゃんと梅を眺めている様子。家族で同じ景色を見て、同じ季節の移ろいを感じる――こういう時間が、何よりも贅沢なのかもしれません。
境内には受験生らしき若者の姿も多く見られました。絵馬に願いを込める姿を見ると、こちらまで背筋が伸びる思いです。学問の神様・菅原道真公を祀るこの場所は、ただの観光地ではなく、それぞれの「祈り」が集まる特別な空間なのだと改めて感じました。
梅は桜ほど華やかではないかもしれません。でも、その控えめで、静かに咲く姿には、日本人の美意識が凝縮されているように思います。寒さに耐え、春の訪れをいち早く告げる花。50代を迎えた私には、この梅の姿がどこか自分自身と重なって見える瞬間もありました。派手さはなくとも、しっかりと根を張り、季節ごとに花を咲かせる。そんな生き方も悪くない、と。
六〜七分咲きということは、まだまだ今月中は十分に楽しめそうです。これから満開を迎え、さらに華やかな景色になることでしょう。もし機会があれば、ぜひ足を運んでみてください。春の始まりを、五感で感じられるはずです。
帰り道、家族で「次は桜だね」と話しながら歩きました。季節は巡り、私たちもまた一年を重ねていく。その一瞬一瞬を大切にしたい――そう思わせてくれた、穏やかな一日でした。
春は、もうすぐそこまで来ています。

そして、ふと思ったのです。
こうして毎年、同じ場所で季節の花を眺められることは、当たり前のようでいて、実はとても幸せなことなのではないか、と。
子どもたちは少しずつ成長し、家族の形も時間とともに変わっていきます。あと何回、こうして全員そろって梅を見に来られるだろう。そんなことを考える年頃になりました。若い頃は「来年もあるさ」と思っていた季節の行事も、今では一回一回が貴重な思い出の種のように感じられます。
境内のベンチに腰掛け、温かい甘酒をすすりながら、梅を眺めるひととき。風が吹くと、ほのかな香りがまた漂ってくる。派手さはないけれど、確かに心を満たしてくれる時間です。
子どもたちは写真を撮り合い、妻は「この枝ぶりがいいわね」と静かに梅を観察している。私はといえば、そんな家族の姿を眺めながら、シャッターを切る役目です。ブログを書いているから、という理由もありますが(笑)、こうして記録に残しておくことが、未来の自分への小さな贈り物になる気がするのです。
梅まつりの会場では、週末ということもあって多くの人でにぎわっていました。けれど不思議と騒がしさはなく、どこか穏やかな空気が流れています。梅という花が持つ落ち着きのせいかもしれません。桜のような高揚感ではなく、「じんわり」と心に染み込む春。これが梅の魅力なのでしょう。
六〜七分咲きという今の状態は、まさに“途中”の美しさ。人生もまた同じで、満開の瞬間だけが価値なのではなく、途中経過にこそ味わいがある。まだ蕾を残した枝を見上げながら、そんなことを考えていました。
これから訪れる満開の時期は、きっとさらに見事でしょう。けれど私は、この日の景色をきっと忘れません。青空と、ほのかな香りと、家族の笑顔。何気ない休日の一コマですが、心のアルバムにしっかりと刻まれました。
春は確実にやって来ています。
寒さの中で花を咲かせる梅のように、私たちもそれぞれの場所で、小さくても確かな花を咲かせていきたいものですね。
さて、次はどんな春の景色に出会えるでしょうか。
また家族で歩きながら、季節をひとつ拾いに行こうと思います。






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