
こんにちは。ミサゴパパです。
仕事納めを迎え、街の空気が一気に年末へと傾きました。
カレンダーを見ると、年越しまであとわずか。
今年も、そんな季節がやってきたなと、しみじみ感じています。
この時期になると、必ず話題にのぼるのが「年末の大掃除」です。
正直に言えば、若い頃はあまり好きな行事ではありませんでした。
寒いし、忙しいし、普段やらない場所まで手をつけなければならない。
「どうせ年が明けたらまた汚れるのに」と、どこか義務のように感じていたのです。
けれど、年齢を重ねるにつれ、大掃除に対する見方が少しずつ変わってきました。
今は、大掃除を「家を完璧にきれいにする作業」ではなく、
一年を振り返るための時間だと思っています。
押し入れを開けると、ほとんど使わなかった物が出てきます。
買ったまま眠っていた道具、いつか着るつもりだった服。
それらを手に取るたびに、
「今年の自分は、何を大切にしてきたんだろう」
そんな問いが自然と浮かんできます。
掃除をしているのに、どこか心の整理をしているような感覚。
埃を拭き取りながら、同時に一年分の疲れや迷いも、少しずつ外に出しているのかもしれません。
もちろん、すべてを完璧に終わらせることはできません。
時間は限られていますし、体力にも限界があります。
でも最近は、それでいいと思えるようになりました。
玄関だけ、少し丁寧に掃く。
キッチンのシンクを、いつもより念入りに磨く。
机の上を整えて、いらない書類を処分する。
それだけでも、不思議と気持ちが整ってくるから不思議です。
大掃除とは、「汚れを落とす作業」ではなく、
新しい年を迎えるための余白をつくる行為なのだと思います。
物理的なスペースだけでなく、心の中にも少しの余白を残すために。
今年もいろいろなことがありました。
うまくいったこともあれば、思うようにいかなかったこともあります。
それらすべてを抱えたまま新年を迎えるより、
「今年はここまで」と一度区切りをつける。
そのための大掃除なのかもしれません。
無理をせず、できる範囲で。
家族と少し言葉を交わしながら、
あるいは一人、静かに手を動かしながら。
今年一年、お世話になった家に「ありがとう」と伝える。
そんな気持ちで行う大掃除も、悪くないものです。
さて、今年はどこから手をつけましょうか。
掃除が終わる頃には、きっと少し軽くなった気持ちで、
新しい年を迎えられるはずです。
そして、大掃除の途中で、ふと手が止まる瞬間があります。
それは、古い写真や、昔の書類、子どもが小さかった頃の思い出の品が出てきた時です。
「こんなこともあったな」
「この頃は、必死だったな」
埃を払う手が、自然と記憶をなぞっていきます。
時間だけが静かに巻き戻され、あの頃の自分や家族の姿が浮かび上がる。
大掃除は、時に小さな回想録のような役割も果たしてくれます。
若い頃は、未来ばかりを見ていました。
何を成し遂げるか、どこへ向かうか。
けれど今は、過去を振り返る時間も、同じくらい大切だと感じます。
それは後悔ではなく、「ちゃんと歩いてきた道を確認する作業」なのだと思います。
年末の大掃除には、誰に見せるわけでもない、
自分だけの静かな時間があります。
掃除機の音、雑巾の水音、外から聞こえる年末の街のざわめき。
そのすべてが混ざり合って、
「ああ、今年も終わるんだな」という実感を、ゆっくりと心に染み込ませてくれます。
最近は「大掃除をやめる」「年明けに分散してやる」という考え方も増えました。
それも、とても合理的で良い選択だと思います。
それでも私は、この年末の慌ただしさの中で行う大掃除が、
どこか好きなのです。
忙しいからこそ、立ち止まる。
慌ただしいからこそ、整える。
矛盾しているようで、実はとても人間らしい営みなのかもしれません。
完璧じゃなくていい。
途中で疲れて、コーヒーを飲みながら休んでもいい。
少し寒くなったら、無理せず切り上げてもいい。
それでも、何か一つだけ終えられたなら、
それは立派な「今年の締めくくり」です。
大掃除が終わった部屋で、夜、静かに灯りをつける。
その時に感じる、ほんのわずかな清々しさ。
それはきっと、部屋がきれいになったからだけではなく、
心のどこかが整った証なのだと思います。
今年も、もうすぐ終わります。
この一年を生き抜いた自分と家族に、
そして、変わらずそこにあった我が家に、
そっと「お疲れさま」と声をかけながら。
大掃除は、
新しい年へ向かうための、静かな助走なのです。




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