大人になっても、ワクワクしていたい――「キダルト」という生き方

こんにちは。ミサゴパパです。

最近、「キダルト」という言葉を耳にする機会が増えました。
キッズ(kid)とアダルト(adult)を組み合わせた造語で、大人でありながら子どものような感性や趣味を楽しむ人を指す言葉だそうです。

最初に聞いたとき、正直こう思いました。
「ああ、これ、まさに自分のことじゃないか」と。

子どもの頃の「好き」は、どこへ行ったのか

子どもの頃は、理由なんてなくても楽しいことがたくさんありました。
アニメの主題歌を口ずさみ、漫画の続きが気になって眠れず、
プラモデルの箱を開けるだけで胸が高鳴ったものです。

ところが大人になると、
「それ、何の役に立つの?」
「いい歳して、恥ずかしくない?」
そんな言葉が、いつの間にか自分自身の中に住み着いてきます。

仕事、家庭、責任、常識。
それらはもちろん大切ですが、その代わりに、
ワクワクする気持ちを、どこかに置き忘れてきた
そんな感覚を覚えることはないでしょうか。

キダルトは「子どもっぽさ」ではない

キダルトという言葉は、決して
「大人になりきれない人」
「精神年齢が低い人」
という意味ではありません。

むしろその逆です。

仕事も家庭もきちんと背負ったうえで、
自分の“好き”を自覚的に楽しんでいる大人
それがキダルトなのだと思います。

最新のフィギュアを真剣な目で眺める人。
昔の特撮やアニメを、今の価値観で語り直す人。
ガチャガチャに本気になってしまう自分を、ちょっと照れながらも肯定できる人。

それは幼稚なのではなく、
人生を楽しむ技術を身につけた大人の姿ではないでしょうか。

大人だからこそ、遊びが必要になる

年齢を重ねるほど、人生は現実的になります。
体力は落ち、立場は重くなり、
「無邪気さ」は自然と削られていきます。

だからこそ、意識して遊び心を取り戻すことが大切なのだと思います。

ゴルフでナイスショットが出たときの高揚感。
犬と散歩しながら、何でもない景色に季節を感じる瞬間。
本のページをめくりながら、物語の世界に没頭する時間。

これらはすべて、
大人になったキダルトの楽しみ方なのだと思うのです。

子どもと同じ目線に立てる幸せ

キダルトであることの、もう一つの良さ。
それは、子どもや若い世代と、自然に同じ目線で話せることです。

「それ、面白そうだね」
「昔はね、こんなのが流行ってたんだよ」

上から教えるのではなく、
横に並んで一緒に楽しむ。
その距離感が、家族や人間関係を、少し柔らかくしてくれます。

ワクワクを捨てない人生でいたい

「いい歳だから」と、何かを諦めるのは簡単です。
でも、
ワクワクを感じられなくなった大人ほど、少し寂しいものはない
そう思うようになりました。

キダルトとは、
年齢に逆らうことではなく、
年齢と折り合いをつけながら、楽しむ力を失わないこと。

大人だからこそ、
真剣に遊び、
本気で好きなものを語り、
素直に「楽しい」と言える。

そんな生き方も、悪くないですよね。

今日もどこかで、
大人になった“子ども心”が、
静かに、でも確かに、ワクワクしている。

そんなことを思いながら、
このブログを締めたいと思います。

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