
こんにちは。ミサゴパパです。
寒さが少し緩み、朝の空気にわずかな柔らかさを感じる頃になると、私は毎年決まって思い出す花があります。それが 福寿草(ふくじゅそう) です。派手さはないけれど、なぜか心の奥にじんわりと染みてくる、そんな花です。
春を待ちわびる時間と福寿草
若い頃は、春といえば桜でした。
けれど年齢を重ね、家族を持ち、仕事や生活に追われる日々を過ごすようになると、季節の感じ方も少しずつ変わってきます。
福寿草は、桜のように人を集めることもなければ、写真映えを狙って話題になる花でもありません。けれど、雪解けの土の中から、静かに、しかし確かな意思を持って顔を出すその姿には、思わず足を止めてしまう力があります。
「もう大丈夫ですよ」
そんな声を、自然がそっとかけてくれているように感じるのです。
「福」と「寿」を抱えた花
福寿草という名前を、なんと縁起の良いことかと思います。
福があり、寿がある。
幸福と長寿。これ以上ない願いが、そのまま花の名になっています。
若い頃は、こうした言葉をどこか他人事のように聞いていました。
しかし今は違います。
家族の健康、日々無事に過ごせること、当たり前のようで当たり前ではない日常。その一つひとつが「福」であり「寿」なのだと、身に染みてわかるようになりました。
福寿草は、そんな気づきを思い出させてくれる花でもあります。
日が差すと花開く、その姿に思うこと
福寿草は、晴れた日には花を開き、曇りや夕方には閉じます。
まるで太陽の存在を全身で感じ取りながら生きているようです。
この姿を見ていると、人も同じだなと思います。
環境や状況、誰かの一言、ちょっとした出来事で、心が開いたり閉じたりする。
それでも、また光が差せば、ちゃんと顔を上げられる。
若い頃は「頑張れば何でもできる」と思っていました。
今は「無理をせず、光のある方へ向かえばいい」と思えるようになりました。
福寿草は、そんな生き方を静かに教えてくれている気がします。
目立たないけれど、確かにそこにある強さ
福寿草は背が低く、地面に張り付くように咲きます。
決して目立つ存在ではありません。
けれど、厳しい寒さを耐え抜き、誰に褒められるでもなく、毎年同じ時期に咲く。
この「変わらなさ」こそが、実は一番の強さなのではないでしょうか。
家庭でも、職場でも、社会でも、目立たず支えている人がいます。
派手な成果はなくても、いなくなったら困る存在。
福寿草を見ると、そんな人たちの顔が浮かびますし、自分自身もそうありたいと思うのです。
毒を持つ花が教えてくれること
福寿草には毒があります。
美しく、縁起が良く見えるものにも、扱い方を誤れば危うさがある。
これは人生にも通じる話だな、と感じます。
「良さそう」「正しそう」に見えるものほど、きちんと向き合い、理解することが大切。
便利さや効率ばかりを追い求めてきた時代だからこそ、福寿草の持つこの一面は、今の私たちにとって大切な警鐘かもしれません。
ミサゴパパとして思うこと
福寿草は、
「派手じゃなくていい」
「焦らなくていい」
「ちゃんと春は来る」
そう語りかけてくる花です。
子どもたちが成長し、仕事との距離感も変わり、人生の後半戦に差し掛かってきた今だからこそ、この花の良さがわかるようになりました。
今年もまた、どこかで福寿草が咲いているはずです。
もし見かけたら、少し立ち止まってみてください。
きっと、心の奥に静かな温もりが残ると思います。
それが、福寿草という花の力なのだと、私は思います。





コメント