
こんにちは。ミサゴパパです。
青山美智子さんの小説を読むたびに思うのは、
「この人は、人生の“静かな曲がり角”を書くのが本当にうまいなあ」
ということです。
今回読んだ『人魚が逃げた』も、派手な事件が起きるわけではありません。
それでも読み終えたあと、心のどこかに、ぽっかりと余白が残りました。
そしてその余白が、じわじわと効いてくる。
そんな一冊でした。
「人魚が逃げた」という、不思議な言葉
物語は、ある週末の銀座を舞台に始まります。
SNSで突然広まる「人魚が逃げた」という言葉。
そして「王子」と名乗る、どこか現実感の薄い青年。
正直に言えば、読み始めたときは
「これはどんな話になるんだろう?」
と少し戸惑いました。
人魚? 王子?
ファンタジーなのか、現実なのか。
その境界線があいまいなまま、物語は進んでいきます。
けれど読み進めるうちに、
「これは人魚の話ではないな」
と、自然に感じるようになりました。
描かれているのは「人生の途中にいる人たち」
この物語に登場する人たちは、みな人生の真っ只中にいます。
若すぎるわけでも、すべてを悟っているわけでもない。
- このままでいいのか、と迷っている人
- かつて大切だったものを、抱えきれなくなった人
- 成功を目指しながらも、心が追いつかない人
- 誰かの役割を演じ続けてきた人
彼らは皆、
「何かを選び、何かを手放す瞬間」
に立たされています。
その姿が、とても現実的で、
読んでいて胸がチクッとしました。
人魚とは、何だったのか
物語を読み終えて、
「人魚とは結局、何だったのだろう」
と考えました。
それはきっと、
- かつて信じていた夢
- 若い頃に思い描いた理想の自分
- 誰にも見せずに抱えていた想い
そんなものの象徴なのではないかと思います。
人魚は、美しく、儚く、手に入れたと思った瞬間に、
するりと逃げていく存在です。
でも本当に逃げたのは、
人魚だったのでしょうか。
それとも、私たちのほうが
「もう持てない」と手放しただけなのか。
この問いが、読後もずっと頭に残っています。
銀座という街が持つ意味
舞台が銀座であることも、印象的でした。
華やかで、大人で、少し背伸びをした街。
成功や洗練の象徴でありながら、
どこか孤独も漂う場所。
登場人物たちが銀座を歩き、すれ違い、立ち止まる姿は、
まるで人生そのもののようでした。
同じ場所にいても、
見ている景色は人それぞれ違う。
そのことを、静かに教えてくれるように感じました。
読み終えて感じたこと
『人魚が逃げた』は、
「前向きになろう」と背中を強く押す本ではありません。
むしろ、
「迷ってもいい」
「分からないままでも、生きていい」
そう語りかけてくるような物語です。
年齢を重ねるほど、
“失うこと”や“諦めること”が増えていきます。
でもそれは、決して後退ではなく、
人生を軽くしていく作業なのかもしれません。
この本を読んで、
自分がこれまでに手放してきた「人魚」のことを、
少しだけ優しい気持ちで振り返ることができました。
おわりに
もし今、
「このままでいいのかな」
「何かを置いてきた気がする」
そんな気持ちを抱えている方がいたら、
この本はきっと、そっと寄り添ってくれると思います。
人魚は、逃げたのではない。
ただ、次の場所へ泳いでいっただけ。
そう思えたとき、
人生は少しだけ、静かに前へ進むのかもしれません。





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