『白鳥とコウモリ』を読んで──正義は、そんなに簡単じゃない

こんにちは。ミサゴパパです。

先日、東野圭吾さんの長編小説『白鳥とコウモリ』を読みました。
読み終えたあと、しばらく本を閉じたまま動けませんでした。それくらい、心の奥を静かに揺さぶられる作品でした。

今日は、50代のミサゴパパが感じたことを、率直に綴ってみたいと思います。


■ これは「ミステリー」だけではない

物語は、ある殺人事件から始まります。
しかし読み進めるうちに気づくのは、この作品の本質は「犯人探し」ではないということ。

テーマはもっと重い。

  • 正義とは何か
  • 罪は本当に裁ききれるのか
  • 過去はどこまで人を縛るのか

事件の真相が明らかになっていく過程よりも、その「真相を知ったあとに人はどう生きるのか」に重きが置かれています。

さすが東野圭吾さん。
単なるどんでん返しではなく、「人間」を描く力が圧倒的でした。


■ 父と子という視点で読むと、さらに重い

この作品では、親世代と子世代の関係が大きな軸になっています。

読んでいて、何度も自分の立場を重ねました。

もし自分が――
もし自分の子どもが――

そんな「もしも」が頭をよぎるたびに、胸が苦しくなる。

親は子どもを守りたい。
でも、守るという行為は、時に真実を歪めてしまうこともある。

50代になり、父親としての時間が長くなった今だからこそ、この物語の重さがズシンと響きました。

若い頃に読んでいたら、きっと違う感想だったと思います。


■ 白鳥とコウモリの意味

タイトルの「白鳥」と「コウモリ」。

白は正義、黒は悪。
そんな単純な対比ではありません。

昼に生きるものと夜に生きるもの。
光と闇。
でも、その境界は本当にくっきり分かれているのか?

人は状況次第でどちらにもなり得る。

このタイトルの象徴性が、物語を読み終えたあとにじわじわ効いてきます。


■ 正義は「気持ちいいもの」ではない

ミステリーを読むと、最後に真相が明らかになりスッキリすることが多いですよね。

でも『白鳥とコウモリ』は違います。

真実は明らかになる。
けれど、それで誰も完全には救われない。

むしろ、「知ってしまった」ことの重みが残る。

これがこの作品の凄さだと思いました。

正義とは、誰かを完全に救う魔法ではない。
時には、誰かを深く傷つける刃にもなる。

そんな現実を、静かに突きつけられました。


■ 50代ミサゴパパの読後感

この本を読んで、改めて思いました。

人は、自分の立場が変わると、同じ出来事の見え方も変わる。

若い頃は「正しいか、間違いか」で考えていました。
でも今は、「その人はなぜそうしたのか」と考えるようになっています。

年齢を重ねるとは、白黒をはっきりさせることではなく、
グレーを受け入れることなのかもしれません。

『白鳥とコウモリ』は、まさにそんな“大人のミステリー”でした。


■ まとめ

・派手なトリックよりも、人間の心理が深い
・父と子の関係が胸に刺さる
・読後に長く余韻が残る

軽い気持ちでは読めません。
でも、読んでよかったと心から思える一冊でした。

まだ読んでいない方は、ぜひ時間のあるときにじっくり向き合ってみてください。

読み終えたあと、きっと誰かと「正義とは何か」を語りたくなるはずです。

今日はこのへんで。

ミサゴパパでした。

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